足跡の記録2018


201812 小豆坂


・2004年当時にくらべ新興住宅が密集している

・池が近くにあり小鳥の飛び交う地域


201810-11 羽根



●延命山西光院

延命地蔵大菩薩と阿弥陀如来。一つのお堂が敷居で分けられている。堂周りは複種類のアジサイを見て回れる。

 

●レンガトンネル

東海道本線をくぐるトンネル「マルガタ」と呼ばれている



●八帖公園

よく手入れ整備された公園。立派な滑り台と不思議な遊具が多い。公園全体がレンガで楕円に仕切られている。公園として整備される前の地形は・・・

 

●日名公園

長めの滑り台と回転遊具がある。回るままで残っているのは珍しい。野球グランドを併設している。グランド部には夜間照明設置されている。

 

●上杉清子

文永7年(1270年)? - 興国3年/康永元年12月23日(1343年1月20日) 鎌倉時代後期から室町時代初期の女性。本姓は藤原氏。勧修寺流の一流である上杉氏の出身で、父は上杉頼重。足利貞氏の側室。足利尊氏、直義兄弟の母。上杉重顕(扇谷上杉家祖)、上杉憲房、日静の姉妹。上杉憲顕(山内上杉家祖)、憲藤(犬懸上杉家祖)兄弟と上杉重能(宅間上杉家祖)は甥で、山名時氏は従兄弟に当たる。 生年は『三宝院賢俊僧正日記』の興国3年/暦応5年(1342年)2月条に「大方殿 七十三 卯酉」とあり、これにしたがえば逆算して文永7年となる。嘉元3年(1305年)に尊氏を生む。この際、紀伊粉河寺の観音に祈ったことから、後年、延元元年/建武3年(1336年)に粉河寺に戸帳を寄付し、さらに翌年には領地を寄進している。 夫貞氏の没後も足利家を支え、尊氏、直義兄弟が倒幕に動いた際には終始行動をともにした。室町幕府成立後は、実家である上杉家の興隆に力を用いた。浄妙院殿雪庭と号し、世上は錦小路殿と呼ばれた。また大方禅尼とも呼ばれた。和歌にも通じ、作品が『風雅集』に入選している。法号は果証院殿といい、墓は京都等持院にある。

 

●川上酢屋 

商品ブランドはマルキ酢。この日はカレーに酢をかける前と後との食べ比べをしていた。




201801 大樹寺