足跡の記録2016



〇松明院

応安元年(1368)、松平村大給に小さな仏堂が建てられ、これをのちに初代大給城主松平乗元(松平氏4代親忠公の次男)が再建して称名院と名付けたことに始まる。開山は隣翁本六和尚で、乗元の弟。乗元は、細川城をも併有し、両地域の土地を領有し、乗元が死んでからその戒名である松明院をとって寺名とする。


〇細川氏

清和源氏の支流。1200年代足利義季(ヨシスエ)が領地に城を築き、細川義季と名乗り勃興

 

〇蓮性院

1390年 足利義光執事、幕府管領細川頼之により先祖供養のため創建。

1480年 大樹寺開基松平親忠が二町四面の山林田畑を寄付。大樹寺開山勢誉愚堤底上人を開山とし浄土宗として採鉱。

1560年 松平信乗により再建

観音堂 念持三尊・潮止弁財天

 

・仏教のもとは一つであり鎌倉時代あたりから、浄土宗・真宗・臨済宗・曹道宗・日蓮宗などに分岐していく。修行による成仏は否定した浄土宗、人が求めなくとも仏が救う真宗から、修行苦行を求めるものまでさまざまな教義があるが、元が同じものであるなら、自分に合ったものを選べばよいと講話をいただく。

 

日本の代表的な13宗派

 


201604-06 桑原・宮石・奥殿


〇西光寺 

丹羽晧夫氏のおそらく絶筆の襖絵がある。ただし関係者以外立ち入りできないものを特別に拝見できた

・丹羽晧夫 美術教育のエキスパートとして、また春陽会会員として活躍するなど、愛知を代表る美術家の一人として知られている。

 

山下工房

紡績工場の跡地を利用している。散切りやねからやわらかい自然光が入る龍渓院山門にある仁王像を奉納している山下清氏の工房 彫刻科至る所にあるのは当然だが、同じくらいスピーカーが至る所にある

 

三河仏壇木地職 新富木工

・木地行程仏壇の本体にある外枠で、檜など良質の木材を木取つて胴の外側、内側、戸、障子、雨戸、引出しなど30近い部品からなり、ほぞ組みと言う木地独特の技術で組み立てています。漆塗り作業がしやすくする為、分解修理が可能です。
技法として台木に膠(にかわ)などを塗って、はぎ板を合わせた後荒縄を巻いて炭火にかざし、締め付けて接着させる『はぎ付け加工』などがあります。

・仏壇を仕上げる八種

1木地師・・・仏壇の外郭本体を作る

2宮殿師・・・仏像・仏画を安置する須弥壇・屋根・桝組を作る

3彫刻師・・・仏界のさまざまな絵模様を木彫する

4金物師・・・仏壇に取付ける錺金具を作る

5塗師 ・・・木地部分に漆塗りをする

6蒔絵師・・・漆塗りされた部分の必要な個所に絵模様を描く

7箔押師・・・漆塗りされた個所に金箔を貼り付ける

8組立師・・・錺金具を取付け各部分を検査し一本の仏壇に組立てる

・三河仏壇特徴
1 仏壇の構造は台の引出しが三杯引き出し
2 台が低く 前の欄間の彫りはウネリ長押付 ウネリ狭間
3 中障子は障子中に花子彫
4 障子腰に蒔絵板が取付けられ
5 胴内に経本を入れる一帖及び戸扇式(ギリ仕上)四帖入りがあります 3
6 屋根(宮殿・荘厳)の小長押も全てウネリ長押
7 台に薄引出しが取り付けられています

 

〇からくりおもちゃ 磯谷栄一

子供達が市販のおもちゃに熱中する姿を見て、何となく寂しさを感じ、江戸時代の全国のからくりおもちゃの本、絵、写真などの資料を元にすべて自作している。江戸時代に書かれた本「機巧図彙」を元に、江戸からくりを作り、からくり師 一栄斎大乗と名のり、各地で実演、失われつつある伝統の匠の技と共に未来に残したい日本の心を伝えている。竹細工の名人でもある。

 

愛知県西三河農林水産事務所細川管理所

岡崎の水量管理はここで行われています。

細川頭首工・乙川頭首工の維持管理に関すること
明治導水路1.5キロメートル、南部共用水路13.1キロメートル、南部幹線共用水路5.4キロメートルの維持管理に関すること

豪雨時の水量管理、乙川で行われる夏祭りの際の水量管理など緊急の対応も一手に管轄しています。

 

〇市杵嶋神社(豊田)

祭神は市杵嶋姫命。アマテラスとスサノオが天真名井で行ったうけい誓約)から生まれた神です。宗像三神の一神です。後に弁才天と習合されます。ここの地名は豊田市中垣内町辨天。おそらくそういうことなんでしょう。また。厳島神社の祭神ともなっており、「イツクシマ」という社名も「イチキシマ」が転じたものとされている。

 

奥殿陣屋

統上皇が命名されたと伝えられる花ぞの山(村積山)の麓、徳川家氏の発祥地松平郷に程近いところに奥殿陣屋はある。1万6千石の親藩として奥殿藩の歴史と文化が静かに眠り、春の山桜、ユキヤナギ、スイセンからバラ・あじさい・はぎ・もみじ・つばきなど四季折々に美しく咲きほこる花園のさとである。



201601-02 西本郷