足跡の記録2009
・妙源寺、柳堂
以前は太子堂とよばれ、以前は国宝だったが、明治の基準の見直しによって重要文化財に変更されている。マキの木に隠れるように親鸞上人御用水の井戸があり、底にはまだ水が来ていた。 妙源寺は明源寺と書かれた時代もあり、一向一揆の際、家康をかくまったのを縁に、源をもらい妙源寺に改名したとされている本田光太郎の墓もここにある。
・クロガネモチの大木
矢作南小学校の北側の道を大通り、民家の庭の奥
・矢作南小学校
学校の正門には二宮金次郎の石像。
校庭には中央に明治天皇御大喪記念の大松。運動場拡張のため中央になる
・白鳥神社
森のような裏庭にはご神木と池、堆肥つくりの設備があり、夏場は子供たちがカブト虫を取りにくる。以前はもっと繁っていて、わき道があまりにも不気味になるために刈り込んだとのこと。ここでは竹に登りその重みで折る神事として行う。兵庫県高砂市曾根天満宮では、竹割神事が行われている。これに似たものだろうか。
・児童公園
桑子神社跡の碑がある。今は白鳥に合祀されている。またここにも回転遊具、やはりコンクリートで固められている。町内の花壇もきれいに手入れされている。 地蔵堂の横に「右 くれど 左 安城」 と書かれたぐずれた道標がある。
・前庭天神社
伊勢神宮から運ばれる米蔵があったところ。稲熊にある、稲崎神社にも蔵があった。御旗公園はそのとおり幟旗を立てる場所。岡崎の町は伊勢神宮の管理地であり、神宮に関係するところが多い。