足跡の記録2015
・妙源寺・・正嘉2年(1258)、城地の一画に一宇を創建、明眼寺と名付け、恵心僧都(えしんそうず)作の阿弥陀如来像を本尊として安置しました。この像はのちに徳川家康の念持仏となりのちに東京芝の増上寺に安置ます。そして妙源寺と改めます。
・柳堂・・本堂の南東にあり、寄棟造り、檜皮葺きの太子堂です。内部に来迎柱を建てて須弥壇を設けています。軒は深く、細部に鎌倉時代末期の手法を伝え、明治36年(1903)、国の重要文化財に指定。柳堂と呼ぶのは昔、堂の前に大きな柳の木があったことに由来
・矢作橋を図にしたマンホール
・ボランティア30周年行事で歩いて設置した東海道プレート
・極楽と地獄が描かれた十王堂
・誓願寺花の塔では旧街道が歩行者天国になる
・廃瓦塔に使われた瓦でもともと建てられていた母屋は青瓦
・隣の取り壊しで跡の残った壁
・竊樹神社 扇型の手水
・山車のレプリカがある岩月仏壇
・雨どいを利用した水槽
・富山の薬売りが逗留した家
●201503 宇頭
PHOTO(外部サイト)
▶廃瓦塔
石田茂作の庭園。塔の周囲はかつて藤棚や池などがあり、鳥も多く、浄土曼荼羅庭園などを取り入れた造園がされたようだ。梅園にある廃瓦塔がモデル
▶土地
やはぎの土地は田が多く、農道がそのまま生かされているところも多い。開発が進み、民家や企業が進出してはいるが、道路の交差がカギの手のように曲がっていたり、左右の同じ企業の間に道が通っていたりする
▶稲荷社
国道と東海道が分かれる安城街道入口交差点原田土地住宅と民家の間に稲荷社がある社殿の屋根が藁屋根
風になっている
▶たばこや
昔ながらのたばこ屋まだ健在のようだ
▶岩月仏壇店
山車のレプリカが展示されいてる
▶八剣神社
【祭神】天照皇大神 日本武尊
▶サボテン 葉がそのまま枝になるようです。
▶駅線路ある坂? 最後の写真は貨車(黒車体)に何かを入れるために高くしてあるようです。