足跡の記録2007


〇市役所形埜出張所

乃木希典、二宮尊徳の像あり

 

〇広祥院
江戸時代の作で見事な彫刻が来る人を出迎える。

岡崎市立形埜小学校の仮校舎として、法堂を使っていた時期がある。

ご本尊(延命地蔵)には胎内仏
 がんで余命短い方の身内のかたがご祈祷し、お水やご洗米などを頂いたら、病気も平癒し、5年ほど長生きなさったとか。交通事故にあわれた方も車は破損しても人間はなんともなかったとか・・・

 

〇日近城址
 途中には毘沙門やさば大師、なかなか広い本丸で曲輪も3重

 

〇阿弥陀寺
本堂は彫刻の鶴が白く塗られ、立派な彫刻がほどこされている。


〇高之御前神社の鰐口,雨乞い
1547年(天文16年)中金郷大代村願主定康とあり,直径13.7㎝。神社が現在地に遷宮したのは大期頃。雨乞い行事が残る。

 

〇熱田神社の刀
 一振りは弘治2年(1556)駿河の今川氏と対立した領主阿知波定直が奉納した脇差で、駿河兼貞の作といわれている。もう一振りは、定直の後裔奥平定泰が御先祖のために初穂料として送り届けた刀で、肥前正廣の作である。ともに町文化財に指定されている。

 

〇雨山六人衆
 江戸時代末期、雨山に農民騒動が起きた。 和吉という若者を始め、数人が領主酒井氏の家来、伊藤某、大島某と年貢取立てや冥加金等のトラブルがあって対立していた。萩坂で出会った折、騒動となって 六人が江戸送りとなって牢死してしまった。明治になって、村の人は六人のために墓と位牌を作って霊を慰めている。